*心に鍵をかけたサッカー選手と元売れっ子女性作曲家。不器用な二人が織り成すファンタジックで優しいお話 *
(目次)
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京都で圭がぬいぐるみを買ったあと、実は小さな男の子と出逢って少し話しをするんです。気に入っている深いシーンではあるのですが、直接本編には関係がないのでアップするときには省きました。が、やっぱり番外編として載せることにしました☆☆☆
****
男性に見送られ店を出ると、先ほどまで圭が覗き込んでいたそのディスプレイに、小さな男の子がいた。男の子はかじりつくようにある一点をじっと見つめている。
「しょっちゅう来とるんですわ、あの子。どこの子か知らんのですが、その内母親らしき女の人に手を引っ張られて居なくなるんですがね」
少年の目はたじろぎもせずに、じっと一点を見つめている。その少年の目にともる力の様な物に魅せられて、圭は自然に声をかけた。
「いつもここに一人で来てるの?」
圭の声に、男の子は驚いて顔を上げた。
「ううん、お母さんと。お母さんがこの先の呉服屋さんに用がある時に来てるよ。お母さんが御用の間に僕はあの子を見てるの」
そう言った少年の先にあったのは、イギリスの紳士服の様な物を着せられたやや大振りな茶色いウサギのぬいぐるみだった。
「あの子が欲しいの?」
この年頃の男の子がヌイグルミをねだるのは少し珍しい気がしたが、圭は聞いてみた。すると少年は
「うん」
と言い
「でもお母さんは買ってくれないんだ」
と続けた。
「どうして?」
「男の子がそんな物欲しがるんじゃありません、って言うの」
大抵の母親ならそう言うだろう、と圭も思った。
「僕はなんであのウサギが欲しいの?」
と尋ねた。だけどその理由に耳を傾けるという行為までは恐らく誰もしないだろうな、と思いながら。
「解らない。でも、なんか初めて見た時にうわぁ~って思ったんだ。なんかすごいなあって。でっかいウサギだなあ、お洋服も見たこと無いくらいかっこいいなあ、って。だからいっつもいっつも気になってて、まだあるかな、まだあるかな、って近くに来たらかならず見に来てるの」
と、瞳を輝かせながら、男の子はまるでそれが昨日の出来事であるかの様に圭に語った。
「あれはロンドンからの輸入品でね。ひょんな事からうちにおるんですが、物がいいんでそこそこ値が張るんですよ。だから親御さんにすれば、一時の子供の言う事にそんなにお金を掛けてられないって言うのもあるんじゃないですかね」
側で聞いていた店の男性が一言説明を入れた。
「どうしても欲しいの?」
圭が尋ねると、男の子はうん、と頷いた。
「ずっと大事にするって約束する?」
男の子は意識したのかどうか、口元をキュッと真横に引き結ぶと更に大きく頷いた。そのしぐさに圭は
「よし、待ってて」
と男性を伴って店に入ると、そのウサギを受け取り表に出た。
「はい、これ」
ウサギを手渡された男の子は驚いてウサギと圭の顔を交互に見ていた。
「くれるのー?」
「お兄ちゃんからのプレゼントだ。でもさっき約束したように、ずっと大事にするって約束は守れるかな?」
圭は少年の背に届くように、クマを抱えたままその場にしゃがんでいた。
「する、するよ!絶対にする!ありがとうお兄ちゃん」
男の子が嬉しそうにウサギを抱きしめていると、用を済ませた母親が慌てて近づいて来た。
「まあ、どうしたのこれ」
「このお兄ちゃんが僕にくれたんだよ。僕ずっと大事にするよ」
すると母親は、困ったように圭を見た。
「まあ・・・、見ず知らずの方なのにすみません。お気持ちはありがたいんですが、やっぱり受け取れませんわ」
上品な奥様風の雰囲気が漂うこの母親は、物腰も柔らかに圭にそう言った。
「勝手な真似をしてすみません、お母さん。でも僕と彼とは男の約束をしたんですよ。それに今更返されてしまっても、お店の人もきっとがっかりするだろうし」
「でも・・・」
「お母さんは、なぜ今まで彼に買ってあげようとしなかったんです?」
「だって、男の子じゃないですか。もうすぐ小学校に上がるという男の子が、こんな女の子みたいな物欲しがるなんてみっともないし」
母親は、伏し目がちにそう告げた。
「そう、ですか。でも、彼には彼なりの理由があったみたいですよ。もしかしたら何かの可能性がその中に隠れているかもしれない。だから僕はこの子を彼に渡したいな、と思ったんです。お母さんはちゃんと理由を聞いた事はありますか?」
すると母親は黙りがちにこう言った。
「そんなの、ありませんわ・・・。ただ男の子だからだめ、って」
「じゃあ、許してあげてください。そして彼の話しをこれからはきちんと聞いてあげてください。そういうきっかけに、この子をしてくれませんか」
圭はいつの間にか立ち上がって、母親と向き合う格好で話していた。
圭の笑顔は優しかった。その優しい眼差しの中に見える率直な何かに打たれた母親は、
「今まで、そんな風に考えた事ありませんでしたわ。息子には息子なりの考えや想いがあるんですものね。向き合ってあげないといけないですよね。わかりました、お言葉に甘えてありがたく頂戴いたします。ー大事にするのよ」
と少年に告げた。
「やったあ!いいの?ありがとう、お兄ちゃん、お母さん」
男の子は嬉しそうにウサギを抱きしめたままその場でジャンプした。
「なんだか本当に余計な真似をしてすみません。でも子供にとって、歩むべく道探しを最初に手伝ってくれるのは親だと思うんですよね。だから、僕からのお願いです。見ていてあげてください。沢山話してあげてください。そして見つけたら大事に伸ばしてあげてください、彼の中にある大切な想いと言う物を」
***
「あれ?あれ圭さんじゃないですかね。何やってるんでしょう、あんなところで」
・・・と#14-2に続きます。
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ブログ版・あとがき(2009年4月20日 LA Time)
最後まで読んでくれた皆様、ここまでお付き合いくださいまして本当にどうもありがとうございます。私の中の何かを受け取っていただけたこと、本当に感謝です。ありがとう。このあとがきを書いている今、私は実はLAに居ます。小説の中の「想子ちゃん」と同じように、思い経ったが吉日、いきなり来てしまいました偶然に導かれて。
ここには昔住んでいたので、思い出がたくさんあります。しばらくご無沙汰していたJohnとキャサリンのようなルームメイトのKavinとCorrinne。期待していたとはいえ、なんと彼らの赤ちゃんは私の誕生日である本日4月20日に生まれてきています。(現在彼らは病院でお産の真っ最中、私は友人宅にて待機しつつこれを書いてます。)色んなことが起こります。色んな偶然が重なって今私はここに居ます。本文中の圭君じゃないけど、「最初はただの偶然だった、でも・・・」なんですよね、結局人生って。私の大好きな言葉、そして座右の銘は’Things happen when it’s supposed to be’です。「全てのことは起こる時にちゃんと起こることになっている。」今現在滞在中のコメディアクターである素晴らしい友人Clintonがむかーし私に教えてくれた言葉です。色んな物を背負って必死にLAで音楽をがんばっていた頃、ふとつぶやいてくれた言葉でした。私はこの言葉に今まで何度助けてもらったか判りません。物事は起こるときに全て起こるし、それには全て偶然はない、と。そんな素晴らしい気持ちをこの場所でたくさん思い出しながら、私はこの文章をしたためています。なのでここにふらりと偶然立ち寄ってずっと読み進めて下さった皆様、本当にどうもありがとう!どうか素敵な気持ちを持ち帰って下さったらと思います。
それでは、あとがきにかえて、本当にどうもありがとうございました!
追伸
じつは全く考えてなかったのですが、最近ちょっと続編を作ってみようかな?なんて思っています。なんだか私も圭君と想子ちゃんのその後がとっても気になり始めたんですよね。不思議な夢はもう見ないかもしれないし、とっても普通に現実的なお話になってこの作品とは全く違うものになるかもしれませんが、ちょっとこの2人の毎日をもう少しのぞいてみたいなぁ、なんて思っています。
***
オリジナルあとがき(2007年10月8日)
不思議な夢を見ました。見知らぬ、東洋と西洋が入り混じったような異国の地。ピンクオレンジの空に伸びる木々、レンガ造りの建物。そしてふわふわと宙を舞いながら、大きな箪笥やNYのデパートのような場所、螺旋階段、振るぼけた本にたくさんの猫など色々なシーンを眺める私。余りにも印象的な夢すぎて、起きた後しばらくの間ぼーっとしていたくらいでした。そのシーンは、今でも鮮明に思い出すことが出来るくらいとっても印象的で不思議な夢です。
その夢が、このお話しを書くきっかけのひとつとなりました。他にもきっかけには色々なモチーフがあるのですが、例えばワールドカップでのヒデさんだったり、フランス映画が好きだったり、最近は俳優として活躍の目覚しいジャニーズ事務所のJ・O君の演技にめちゃくちゃ惚れてしまったことだったり。そんな色々が私の頭の中でひとつになった瞬間、それこそまるで映画の様にぱーっと頭の中に流れて行ったのです、このお話しの映像が、全てのシーンが。台詞もひとつひとつ聞こえてきました。その瞬間の私は何かにつままれたように黙りこくって、一点を見つめながらボーっとしていたみたいで、側に居た人間から
「・・・どうしたの?大丈夫?」
と声を掛けられるくらいでした。感動と言うか、言葉に出来ない現象が頭の中で起こったのです!
「これはぜったに映画にしなくちゃ!」
とそこで不思議な使命感に燃えた私は、でも初めの第一歩として一体何をすればいのだろう?と悩みました。元々映像として頭に観えていたものを、言葉にするのは難しいし、かと行って写真を沢山撮ってきて残すにしても同じ景色なんてそうそう出逢えるわけないし(海外だし)、脚本にする?でも一度もそんな物は見たことも(もちろん書いたことも)ないし・・・。と、悩みながらもこの想いのたけを携えて、親友に私の頭の中で見えてきた物語を全部語りました。電話で二時間。それを全て聞き終えた後で彼女の発した一言が
「小説にしなよ!」
でした。もともと、子供の頃から本が好きで、文章を書くのも割りと好きだった私。学生時代一番成績がよかったのも国語。(特に小論文)それに音楽をやっていた頃に歌詞なども書いていたので、文章を綴るのは割りと出来る方だったんですね。でも、短い文やエッセイ、歌詞等を書けても、物語、しかも長編なんて一度も書いた事はありません。そんな私に書けるのかな・・・、と思いつつもおっかなびっくり書き始めた最初の物語がこの「Angel」です。
一口に小説を書く、と言っても大変な作業なんだな、と言う事をとても実感しました。特に今回はサッカー選手だの花言葉だのフィンランドだの色々出てきちゃうので、それらひとつひとつが間違った描写にならないように、何ヶ月か掛けて丹念に調べた上で書き始めました。(逆に言うと私の場合きちんと調べてからでないと書けないのかもしれません。)
自分としては、心にキュっとくる作品に仕上がってくれたのではないかなあと思います。フランス映画の様に淡々と、少ない登場人物で場面場面が美しく描かれるように。気をつけたのはそんな部分なんですが、上手に描けてましたか?
出逢い、とは不思議なものですよね。
「誰もが誰かの天使になれる」
人を想う気持ち、優しさ。言いたかったのはそんな事です。
人と人との間には流れて触れられるものがある。それは漂う空気感と魂の温度。そのどちら共が寸分わぬ確かさで近寄った時、人は互いの存在を強く認め合い、そして惹かれ合うんだと思います。
ソウルメイトは本当に居ると思います。運命に導かれると言う事も、私自身何度か経験した事があります。
本文では結局説明する場面が無かったのだけど、勘のいい想子ちゃんはずっと前から第六感の部分で、圭君に並々ならぬ何かを感じていたのでしょうね。なので、ブラウン管越しに眺める彼の姿にぴったりと想いを馳せてみたり、実際それが全く持って圭君の考えている事そのもだったり。(私自身も勘が結構よいので、この感じはよーっくわかります。)そしてその後想子ちゃんは実際に本物の圭君に会った時、実感として「やっぱり彼なんだな」と思ったはず。ソウルメイト。魂の共鳴。そしてその出逢いによって、心の奥底でしっかりとかけていた鍵を開けることができた圭君と想子ちゃん。そんな二人を私はとても愛しく思っています。どうぞ愛してあげてくださいね。
読んでくれてどうもありがとう。このお話しが何かのきっかけになってくれればと思います。
愛を込めて。
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圭は驚いて身を乗り出すと、想子の次の言葉を待った。
想子はふーっと一つため息をつくと、自分を落ち着かせるかのようにゆっくりと話し始めた。
「彩子がねー、どうやらばらしちゃったらしいのよね、私の居所を修平に。今までずっと秘密にしてたんだけど、根負けしちゃったみたいで」
「それで、なんて書いてあったの?」
「逢いたい、って。ずっと逢いたかったって。多分お母さんも逢いたがってる、って」
それだけ言うと、想子はその姿を想い描くように窓の外に目を向けた。
「大きく、なったんだろうなあ」
「どうするの?」
想子は圭を真っ直ぐに見つめるとこう言った。
「会って、みようかと思って」
想子からは少しはにかんだような笑顔がこぼれていた。
「二人っきりだとちょっと緊張しそうだから、彩子も呼んで姉弟三人でね」
圭のグラスの中で、氷がころん、と音を立てて溶けた。
圭は嬉しかった、何よりも。そして願っていた。少しずつでいい、取り戻して行きたい。失われていた想子の心の大切なものを共に。
「私泣いちゃうかもなあ」
と話す想子の表情は、愛おしいものを慈しむ、正に慈愛に満ち溢れた表情だった。
「でもね、やっぱり母にはまだ会える自信がないの。会いたくないって訳じゃないんだけど・・・怖いの、自分が何を言い出すか。どんな気持ちになるか。だから・・・」
そこで想子は言葉を切った。
「大丈夫だよ、俺がついてる。今すぐじゃなくてもいい、弟さんと会ってからでいい。一緒に逢いに行こう、想子のお母さんに」
その圭の力強い言葉に想子は黙って頷いた。
「ありがとう」
そして今にも泣き出しそうな表情で圭に感謝の言葉を述べた。
「片付け、しなくちゃなあ」
ふいに圭が話題を変えた。
「また海外への引越しだ。荷物なんとかしないと」
「それこそここに荷物運び込めば?さし当たって誰も使う予定はないし、叔父さんはいい人だしね」
「そうさせてもらえると非常に助かる。ついでに俺も早めにマンション引き払うから置いてくれない?」
圭の突然の提案に想子は少し照れながらも
「うん、いいよ」
と答えた。
「少しずつ、でいい」
「え?」
「いや、荷物少ずつ運び込まないとってね!」
― 共に歩んでいこう、少しずつ。これからの道をずっと二人で ―。
圭はこの先に広がる二人の未来を思い描いていた。
「そうだ、今度西村さん達が想子に逢いたいって」
「店長もなんだか送別会やってくれるから圭も呼んでって」
「忙しくなりそうだなあ」
「本当だねー」
「俺の実家も行かないと」
「うん」
「公園の子供達にも挨拶しないと」
「うんうん!」
「どんな事も、さ」
「うん?」
「嬉しいことも悲しい事も、これからは共有して行こう。どんな時も二人で、さ!」
「うん!」
窓の外ではセミの声が高く響いていた。もうすぐ夏も終わる。
暮れかけた空から斜めに届く鮮やかなオレンジ色。ベッドサイドのテーブル、ガラス細工の天使。
この日最後のオレンジの光を受け、小さな小さな天使は、キラキラとまばゆい光をそこはかと無く放っていた。
Fin.
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どこか透明な印象を与えるシンセサイザーのイントロが始まり、続いて柔らかな想子の歌声が聞こえてきた。曲はどうやらバラードのようだった。
音の流れなくなったヘッドフォンを耳に当てたまま、圭が手にしたポータブルプレイヤーをボーっと眺めていると、階下から冷たいハイビスカスティーを持って想子が戻ってきた。細くて高いグラスに注がれたそれは、想子のこの夏のお気に入りだった。
「聴いたよ」
「どう?」
「なんて言うのかな。上手い言い方が良くわかんないんだけど、折れそうっていうか、凄く繊細な感じがする曲だね。でもなんだか優しく舞い降りてくる粉雪みたいっていうか、でもガラスみたいな繊細な感じもあるって言うか」
「うん」
「粉雪って、雪なのにそれ自体は冷たい感じが俺は感しないんだけど、逆に綿の花みたいにほわっと温かそうな感じ?そんな感じっていうか。ほら、子供とかさ、さらさらの雪が空から落ちてくると、ほんとに凄い特別な物にめぐり合えたみたいに喜ぶじゃない」
「綺麗!って?」
「そうそう。そういう優しい感じの中に一種独特の触れられない繊細さも持ち合わせてるというか・・・」
「ありがとう。うん、なんか、やっぱり自分で作った曲だからまだ客観的に説明するのは難しいんだけど、確かにそういうモノがイメージとしてあったんだと思う」
ガラス細工の天使の話、圭が見たという天使のようだった自分、そして自分の中にあった本当の心。想子の中を巡っていたのは、そんな想い達だった。
「いい曲だね、とっても。すごく心に響くよ」
「ありがとう」
こんな風に素直な気持ちで曲を書いたのは一体どれくらい振りだろう、と想子は思っていた。まだ音楽が自分にとって純粋な物だった頃。愛すれば愛するだけ深まって行った、自分だけの音楽。
「私、まだ大丈夫だったみたいね」
想子は自分自身をしっかりと確認するために小さくつぶやいた。
「え?」
「なんでもなーい!こっちの話」
時は、確実に流れていた。
「そう言えば今日は家出でもしてきたの?」
赤いハイビスカスティーを圭の前に置きながら想子は言った。
「え?」
「下にスーツケースが置いてあったけど」
「ああ!」
そう言うと圭は嬉々として立ち上がり、階下からスーツケースを運び込むと想子の目の前で勢いよく鍵を開けた。
バンッ、と言う音と共に勢いよく開いたそのスーツケースから飛び出してきた物を見て
「クマさん?!」
と想子は目を見開いた。そんな様子を見て圭は、やっぱりとばかりにニンマリとした。
「おみやげ、京都から。好きでしょ、こういうの」
その大きさに唖然としながらも、想子はそのクマを喜んで抱き上げた。
「好き好き、大好き!ありがとう~。可愛い!!」
抱きかかえたまま床に座り込んだ想子は、次にクマの両手を持つと万歳のポーズをさせていた。
「それにしても、この子一体どうやって持って帰ってきたの?」
ここで圭は買った時のいきさつから京都駅での出来事までを、身振り手振り付きで解説し始めた。
「・・・でさ、結局みんなの意見で『雉子波圭がぬいぐるみを抱えてバスを降りるのは、イメージ的にさすがにまずい』って事になって、飯島がこの子を腰の辺りで隠しながら背負って、後は何人かが護衛みたいに回りを取り囲んで見えないようにしてさ。で、俺は一人で離れてカメラに一番近いところを普通に歩いて、って作戦で帰ってきた。みんなサッカーの戦略を練る時よりもめちゃくちゃ意見出し合って、なんかスパイのミッションかってくらいだったよ」
それを聞いた想子も、お腹を抱えてケラケラと笑った。
「よかったね。みんなの事」
「うん」
全ては想子のお陰だ、と圭は目の前でぬいぐるみとはしゃぐ天使に感謝の眼差しを注いでいた。
「イギリスに発つ前に」
「うん?」
「一緒に、会いに行こう、想子のお母さんに」
「え?」
「逢って話してみたいんだよ、俺も想子のお母さんとね」
すると想子はぬいぐるみから片方の手を放し、テーブルの上を滑らせて一枚の封筒を圭のグラスの横に厳かに差し出した。
「手紙?」
想子は黙ってコクッと頷いた。
「何?」
「修平から」
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想子の家の鍵は、遠征に立つ前に受け取っていた。
「チャイムを鳴らしても出てこなかったら、これで入ってきてね」
そう言って手渡された物だった。
移籍発表の会見が終わり、圭は想子の家の前に立っていた。
静かな住宅地の少し高いところに小さく建っている白い壁の、本当に小さな洋館。もともとは外交官をしていた舶来物好きの想子の祖父の持ち物で、現在は想子の叔父が譲り受けて所有している。想子が日本に帰国してからは「破格の家賃」で一人で住んでいた。
圭が家を訪ねるのはこれで3回目、鍵を渡されてからは初めてだった。
少し緊張気味にチャイムを鳴らす。だが、中からの返事はない。2度3度と押してみたが返事がないので、言われた通り中に入る事にした。
玄関を入るとすぐに小さなエントランススペースとなる。そして左右に渡る木の廊下があり、目の前には両手で左右に開く観音開きタイプのすりガラスが入った木製の大きなドアがある。これを開くと20畳ほどのリビングが広がっている。絨毯は濃淡な赤。祖父の趣味なのであろう、センスの良いヨーロッパ調のアンティークのソファーとコーヒーテーブルのセットが真ん中にしつらえてあり、左の壁にはアップライト型のピアノ、そしてその横には2枚の絵― 1枚は想子が子供の頃に描いた物 ―が壁にかかっていた。反対側の壁際にはレコードプレイヤーに「シンクウカンアンプなの」と説明された(しかし実のところその意味を圭は全くわかってはいない)大きなステレオとかなりの数のレコード、それからやはり調度品であると思われる食器棚があり、美しい洋食器や酒のボトルが飾られていた。
リビングの入り口から見てちょうど正面が、想子曰く「ネコの額ほどしかない」庭に出るためのガラス戸になっていた。部屋からガラス戸までの間には狭い縁側があり、絶妙な和洋折衷をかもし出す籐編みの腰掛椅子がいつも2つちょこんと並べられていた。
庭はさすがに手入れが行き届いており、レンガで造られた手作りの小さな花壇には色とりどりの夏の花が鮮やかに咲いていた。
一階にある部屋はここと8畳ほどのダイニングキッチン、それからトイレと洗面所とバスルームだけだった。
圭は庭へ出た。やや小高いところに立てられているので、2階からは下の街並みが良く見える。その為、想子は2階の自室の窓から景色をよく眺めるているとの事だった。
そんな事を思いながら、ふと圭は想子の部屋の方を見上げた。窓が開いてカーテンがなびいている。カーテンに隠れてはっきりとは見えないが、どうやら想子はそこに座っているようだった。
「2階はチャイムが聞こえないのかな」
そう思いながら圭はそのまま2階にあがる事にした。
2階には想子がベッドルームにしている15畳の部屋と、大学教授の叔父の書庫と化している5畳程の部屋があった。
いつもは閉まっているその書庫の扉も今日は開いていた。窓からの薄い明かりを受けて見えるその部屋は、猫こそは居ないものの、圭が想子と紛れ込んだあの図書室を思い出させる趣だった。
圭は隣りにある少し開きかけた想子の部屋のドアを軽くノックした。しかし中からは返事がない。
「いるんでしょ?入るよ」
想子は窓辺に腰掛けて外を眺めながら、大きなヘッドフォンで何かを聴いているようだった。
圭はゆっくりと部屋を横断するとその肩にそっと触れた。
「わっ、びっくりした。来てたのね」
想子は夏の照りつける太陽よりも鮮やかな笑顔を圭に向けた。
「チャイム鳴らしたんだけど出ないから。入ってきちゃった」
と言って圭は想子の目の前に鍵をぶら下げた。
「その為に渡したんだもの。これからも持っててね」
そう言うと想子は少し気恥ずかしそうにまた顔を外へと向けた。
「いい風」
「珍しいね、ヘッドフォンなんて。何聴いてたの?」
振り返ると想子はベッドの上を指差した。
そこには音符が幾つも並んだ五線譜が置かれている。その五線譜の上の方には「天使の降る夜」と大きくタイトルの様な物が書かれていた。
「これ、もしかして想子が書いたの?」
うん、と笑いながら想子はうなずいた。
「さっき完成したから、試聴してたの」
よく見ると、いつもなら布が掛けてあって全く見えない数々の音楽機材やキーボードも今日は全てが取り払われていて、所々でとても機械的な明かりがちかちかと点滅していた。
「実はね、曲自体はキャサリンの家で書いたの。圭が帰った後なんだか急にピアノが弾きたくなってね。ピアノの蓋を開いたのなんてほんとに随分と久しぶりだった。最初は『まだ私ちゃんと弾けるかな?』って気持ちだったんだけどね」
「これ、聴いてもいい?」
興奮気味に圭が訊いた。
「もちろんよ、今聴く?」
「うん」
圭は想子が手にしていた小さなポータブルプレイヤーをヘッドフォンごと手渡されると、床に座り、ベッドに寄りかかってヘッドフォンを耳に当てた。
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京都での遠征は、慣れない熱さと戦いながらも苦戦の末1‐0と無事勝ち星を納めることができた。よって勝利気分で華やいでいる選手たちのもっぱらの注目の先は、圭が抱きかかえてバスの車内に持ち込んできた大きなクマのぬいぐるみ一点に集中されていた。
「飯島のやろ~。『僕が責任を持って抱えて持って帰りますんで、いいですよそんなスーツケースなんか買わなくても』だと?」
と、その好奇の目の中心で圭は一人ぼやいていた。
「圭さ~ん、いい眺めですね~。どうするんですか、そのぬいぐるみ!」
先に車内に乗り込んでいた飯島が、後部座席の方から明らかに解るひやかしの声を掛けた。
「って、飯島お前!約束が」
「プレゼントですか~?一体誰にあげるんですかね~」
その横でにやにやしながら島田も続けた。
「もちろん彼女ですよね~?」
「いや、案外こいつ自分の部屋に飾るのかもよ」
それに便乗して西村も続けた。
「ちょっと、西村さんまで!」
その三人の言葉につられて、他のチームメイト達も一丸となってからかいの声を圭にかけ始めたのだった。
圭は完全に自分が三人にはめられたのを悟ってため息をつくと、心の中で頭を抱えていた。
(願わくば、京都駅で記者達の前にこのまま放り出されませんように!)
そして再度深いため息をつきつつも、自分の周りで確実に変わり行く何かに今まで感じたことの無い心地良さを覚えていた。
***
よく晴れた夏の昼下がり。想子はお気に入りの大きな窓を開け放ち、扇風機をつけるとコーヒーテーブルを挟んでテレビを眺めていた。
視線の先には、圭がいた。
移籍発表の記者会見。新しいユニフォームを両手で広げ笑顔で記者達の質問に答えている。そこには今までブラウン管には映し出された事の無い、想子のよく知る圭の笑顔があった。
その姿を見つめながら、想子は一人微笑んでいた。
程なくして会見は終わった。
想子はそのままテレビを消すと、立ち上がって窓辺に向かい、気持ちのいい風を受けながら大きくひとつ伸びをした。
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京都の夏は暑い。
盆地であるこの土地の気温にはどうも馴染めないな、と圭はいつも思っていた。
早めに朝食を済まし、圭は午前中の京都を散策していた。少しずつ陽の上がる昼前の古式ゆかしい石畳を、一歩一歩かみ締めるように。
圭の移籍は確実となり、正式発表を明日に控えていた。
しばらく歩くと圭の足は一軒の店の前で止まった。木造の二階建て長屋のような並びの中にぽつんと現れたその店は、京都ではよくある観光客用の日本人形が並べてあるようなものではなく、町のおもちゃ屋と言った方が正しい感じのファンシーな店だった。ディスプレイには色々なぬいぐるみが飾られており、その中の一つ、幼稚園児程の大きさのふわふわとした白いクマのぬいぐるみに圭の目が留まっていた。
「渡した時の顔が目に浮かぶな」
圭はガラス越しにそのヌイグルミを眺めながら、一人目を細めていた。
ガラス戸を押してその店に入ると、初老の人の良さそうな男性がにこにこと近づいてきた。
「悪いんだが、これだけ大きいと入れる袋が無いんですけど、いいですかね」
と申し訳なさそうに告げる老人の言葉に少し面食らったものの、、どこかで大きなスーツケースを買えばいい、とそのまま受け取る事にした。
***
「あれ?あれ圭さんじゃないですかね。何やってるんでしょう、あんなところで」
その言葉に同行していた島田と西村も振り返った。
離れた道の向こうには大きなぬいぐるみを抱え、小さな男の子と談笑する圭の姿があった。側では母親らしき人物が嬉しそうに仕切りと圭に話しかけている。
「ほんとだ。知り合いの子のなのかな」
「それにしてもでっかいクマだなあ。あいつ、あれ一体どうするつもりなんだろう」
母親は圭に向かって何度も何度も頭を下げると、手を振る男の子と共に去って行った。圭も男性店員に頭を下げ、大きなクマのぬいぐるみを抱えて別の方向に歩き出そうとしていた。
「あれ、あのクマあの子にあげるんじゃなかったんだ」
足早に去ろうとする圭に慌てて西村が声を掛けた。
「ケイ!」
突如大声で呼び止められた圭は、びっくりしてその声の方を振り返り声の主を探した。
そして圭はそこに笑顔で手を振りながら通りを渡り走り寄ってくるチームメイトの姿を見つけた。
「珍しいなあ、お前にこんな趣味があったとはね」
クックッと笑いながら口火を切ったのは西村だった。
「いや、違いますって、お土産ですってば」
エライ所を見られてしまった・・・と言わんばかりの表情で、圭は誰とも目を合わさない様にそそくさと再び歩き始めた。
「誰にだよ~」
そんな圭に三人も急いでついて歩きながら、さらに質問をたたみ掛けて行った。
「もちろん女性にですよね~、圭さん!」
と飯島が言った。
「それって例の噂のモデルの彼女ですか~?意外ですね~、こういう物が好きな人なんだ~」
ハー、っと圭はため息をついた。マスコミと言う物はどうしてこうも厄介なんだろう、と。しかもそれを信じている人間がこんな身近なチームメイトにも居たとは。
「違うって、あれはただの作り話。本人に確認する前にみんな信じるなよ」
すると、しめた、とばかりに飯島が続けた。
「じゃあ、誰にあげるんですか?」
圭は少しだけ歩みを緩めると空を見た。
夏の空だ。青くてどこまでも高い空。想子は今頃何をしているのだろう。
「こういう物が、好きそうな人だよ」
発された圭の言葉は、ゆっくりと柔らかく温かい優しさに満ちていた。
「まさかアイドルですか?!それとも若手の女優とか?」
余りにも短絡思考な島田のシンプルな質問に、あきれるより先におかしさがこみ上げてきた圭は、自分でも思いがけず素直な一言を口にしていた。
「花屋だよ」
口に出して言ってしまった事で、圭の心は更に想子を描き出していた。逢いたい。その気持ちだけが今の圭の心の中全てを占めていた。
「花屋~?!なんだってそんな地味な」
「地味で悪いか。見たら驚く位美しい人だぞ。もちろん心も」
「それにしてもどこで知り合ったんですか、そんな人と」
「内緒」
「え~、それはないですよ~」
「別に言う義理はないじゃないか」
「俺も知りたいぞ」
「西村さ~ん、勘弁してくださいよ。俺だって奥さんとどこで知り合ったんですか、なんて聞いてないじゃないですか」
「よし、じゃあ答えてやるから教えろ」
「勘弁してくださいよ~」
まるで初恋の女の子を問いただされている小学生の少年とその一団の様に、ホテルまでの帰り道を4人は無邪気に笑いながらじゃれあいながら戻って行った。
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ビュッフェスタイルのこのホテルの朝食はかなり定評があり、早い時間と言えど起きだしてきちんと取る選手は多かった。
京都。遠征で訪れた夏の盆地も、朝はまだ涼やかだった。
「圭さん、移籍決定らしいな」
最後のフルーツ皿を盛りながら飯島が言った。
「そうらしいな。いいよなあ露出が多いと。いとも簡単に世界からお声が掛かるからさ」
その横でまだパンを物色中の島田が皮肉半分、うらやましさ半分にそう答えた。
「ほんとだよな。どうりで圭さんここのところ態度がおかしかったわけだ」
一通りを盛った皿を各々のトレーに乗せ二人は歩いていた。
「練習再開が伸びたと思ったら突然帰ってきて。そしたらなんだか妙な感じになってるし」
「確かに妙だったよな、あれは。あんなに笑顔でみんなとコミュニケーション取ろうとする圭さんなんて今まで見たこと無いもんな」
「ま、今考えてみたら移籍も決まっちゃったし、最後くらいチームと仲良くしとこうかな、なんて思ったのかもな」
「そうかもな」
最後にコーヒーとオレンジジュースを拾い、二人がテーブルに向かおうとしていると
「お前達、本当に圭の事そんな風にしか見てないのか?」
と後ろから声が掛かった。日本代表でもその完璧なガードでゴールを守ることから「守護神」と呼ばれるキャプテンの西村だった。
「西村さん」
「おはよう」
「おはようございます」
二人は頭を下げた。
「俺も一緒にいいか?」
そう言うと西村は自分のトレーをテーブルに置いた。
二人も西村の前にそれぞれに着席すると、西村の次の言葉を待っていた。
「お前らの目には、今までの圭もこれからの圭もどう映って行くんだろうな」
島田も飯島もバツが悪そうに目配せをしていた。
「いつも練習場に行くと」
西村はまだ湯気のあがるチーズオムレツをフォークでつつきながら言った。
「いの一番に来ているのは一体誰なのかお前らは知ってたか?」
二人は互いに目を合わせるとこう言った。
「知りません」
「すみません、僕もです」
練習時間には遅れた事がないものの、二人が着く頃と言うのはちょうどチームメイトのラッシュの時間で、誰が一番最初にたどり着いているのかなど考えたことも無かった。
「圭だよ」
西村は淡々と続ける。
「いつだったか、子供にねだられて練習場に連れて行った事があるんだ。まだだれも居ない時間を見計らってな。無論、誰かが居るなんて想定してなかったから、グラウンドに出た時びっくりしたよ。圭が一人でランニングをしてたんだからな。後で聞いたところによると、奴はそうやって毎回芝のコンディションをチェックしながら考えてたらしいんだ。今日はここで誰がどんな風に走るのか、どんな風にゲームが繰り広げられるのかって」
そこまで言うと西村は顔を上げた。
「あいつはいつも自分だけじゃなく、チームみんなの事を考えてるんだよ」
島田と飯島は目を見開いたまま、西村の顔をじっと見つめていた。
「それから、あいつは結構な割合で練習後の誰もいないグラウンドで、シュート練習をしてるんだ。俺も数回付き合った事があるんだが、あいつはいつも『西村さんは家庭があるんだし、お子さんだって待ってるんだから帰ってあげて下さい』と言って俺の申し出を丁重に断るんだよ」
そう言うと西村は目の奥を細めて微笑んだ。
「そんなの・・・知らなかった、全然」
やっとの事で島田が声を絞り出した。
「だって、いつも圭さんはクールな天才肌で、努力なんて言葉とは無縁の人に見えてたから」
それを聞いて西村はくすっと笑った。
「そういう奴なんだよ、圭は。不器用なんだよ、どうしてもな」
「じゃあ圭さんは西村さんには何でも話すんですか?」
飯島が聞いた。
「いや、別段そういうわけでもないんだが。俺も最初は思ってたから、とっつきにくい奴だなって。でもその朝偶然圭に会った時、恥ずかしそうに照れ笑いしながら俺に話してくれた時に解ったんだ。こいつは、なんて言うか最高の奴だなって」
その西村の言葉に島田と飯島は黙ってうなだれるしかなかった。
「あいつは俺たちが思ってるよりも、もっとずっと凄い奴なんだよ」
ざわめきが聞こえる。遠くの中で二人にはあのワールドカップの圭の姿が描き出されていた。
「圭さん・・・」
ぽつりと飯島がつぶやいた。
「くやし、かったんですね、あの時相当・・・」
そのまま遠くを見つめている飯島の言葉をつないで島田が話し始めた。
「俺たちと圭さんの間には、レベルの差なんてあって当然だと最初から思ってました。だから当然なんだから、それはそれで圭さんがチームのエースで、引っ張って行ってくれるのが当たり前だと思ってたんです。でもそれじゃいけないですよね。甘えです。そんなんじゃ世界相手に勝てるわけが無い」
それを受けた西村はゆっくりとうなずいた。
「俺が思うに、な」
西村に向き合う二人の背筋はいつの間にかピン、と伸びていた。
「あいつは解って欲しかったんじゃないかな、ほんとはみんなに」
「圭さん自身の事を?」
飯島が聞いた。
西村は頭を振りながらこう答えた。
「いや、そうじゃない。あいつは体現したかったんだよ。いかに日本が箱庭かって事。世界を見てきたあいつだから言える、実力の壁。もっともっと自分達が己に向き合って上を目指していけば、日本は世界と互角に渡り合える力をみんな持っているんだって事をさ」
飯島と島田は息を飲んだ。
「ま、なんにせよ、伝え方に問題がありなんだよな」
西村はため息混じりに笑った。
「そういう所がほんと不器用な奴だよなあとつくづく思うよ」
「気付きませんでした、圭さんがそんな風に俺たちの事を考えてくれてたなんて・・・」
「休暇後のあいつ、少し変わっただろ?」
二人は、はい、と答えた。
「一皮剥けたって言うか、素直になったって言うか。何があったのかは知らないけど。だから解ってやろうぜ、俺達も圭の想いをさ」
再び二人は、はい、と目を輝かせながら力強くうなずいた。
「よし、じゃあ冷めないうちにしっかり食え」
これでいい、と西村は思った。その胸の中に温かいものが広がっていくのを感じながら、自分達の未来も、圭の未来も、一つになり光を放っているのが西村には遠くないところで見える気がしていた。
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8月。夏の空は高く、うだるような暑さとセミの声がアスファルトに響き渡っていた。
「今月いっぱいで店を辞めたいー?!」
「はい」
そう答えた想子の声はその空同様どこまでも明るく晴れ晴れとしていた。
「どうして急にまた」
路面に水撒きをしていた店長は、手にしたバケツを落としそうになりながら想子を振り返り、はっとした。
彼はその自分の勘がどうか思い違いであることを願いながらも、想子が何かを言い出した時にはすでに答えが決まっていると言う事をよく知る身として、瞬時に次の言葉を覚悟していた。
「イギリスに、行こうかと思うんです」
やっぱりな、と店長はため息をついた。しかしそんな彼の顔は落胆と言うよりもあきらめに近く、そして笑えるほど力の抜けたものだった。
夏の空は高くどこまでも高く伸びやかだ。
二人の頭上では綺麗な雲を引きながら、一台の飛行機が飛び去って行った。
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